kiligihiii’s diary

ぼくは十分に速くあったろうか

「雑さ」から立ち上るリアリティ:大江健三郎のネーミングセンスに宿る天才性

(略)この種のカエデは紅葉しない、すでに春,赤紫なの花のだから、と姉が最近自覚したよりももっとガンコに嘆いていました。そのうち、福祉作業所に行っている兄が、

いま見ても大変きれいな葉ではないでしょうか?といったので、ついみんな笑いだし、母も納得する、ということがあったのでした。

p162

  

大江健三郎『キルプの軍団』を読んだ。『ユリシーズ』を読んでいたのだが、疲れてしまったので気分転換に。近ごろ岩波文庫化されたけど、発表されたのは1988年と新しいものではない。このあたりの事情は知らない。

キルプの軍団 (岩波文庫)

キルプの軍団 (岩波文庫)

 

 

ところで、そもそも私は大江健三郎が好きである。といっても読んだのは『万延元年のフットボール』までだから、熱心なファンとはいえないけど、21世紀以降に興味を持った最近のファンとしては、そこそこ読んでいる方ではないか。『万延元年』以降も読みたいと思っていたものの、まとめて読んでいたのでちょっと一息ついてしまい、数年が経っていたのであった。その間に小説を読むことも、減ったのであった。

ということで、上記までの大江健三郎の作品に限って、ということになるが、大江健三郎の魅力はなんだろうか。その一つとして文体をあげたい。どうもギクシャクしたというか「くねった」ような、するすると読めるタイプのものではない。でもそこが好きである。『キルプの軍団』の主人公は高校生のオーちゃんだけど、高校生とは思えない言葉遣いだ。この辺りの大江のズレた感覚が好き。

ー……二、三日前、ママがちょっといっていたことだけれども、進学するのを止めようか、という気持ちもあるんだって?

ー突然,そう訊かれても……まだ、時によっていろんなふうに考えているから、と僕は防禦をかためる式にいいました。

ーそうだろうね。むしろおれの側の、いまの関心、ということで尋ねたんだよ。なぜおれの側の関心というかといえばだね、大学に進むことの実際的な意味ということを、自分の経験にそくして考えてみたからさ。そこでいくらか整理した答を、示したいと思って。オーちゃん、きみがベッドにはすかいになった、金縛りのポーズでね、いろいろ考える際の、参考資料にさ。

ーああ、そう!と僕はベッドに起きあがり、はだしの足を床におろして、ガラス戸の向うの、ちょうど眼の高さにある庭木の先端を眺める態勢とりながら、いったのでした。それはご親切に……

pp154-155 (太字は実際は傍点です。以下同様)

 

忠叔父さんの返事は葉書でしたが、新しい情報を聞いての素直な喜びが示されているように感じ、そこから逆算すると、僕のせいぜいニュートラルな文体で書いた手紙にも、overjoyとはいかないまでも、ある楽しい活気が出ていたのかもしれないと、安心するようにして思ったのです。

p200

 

あと、大江健三郎はネーミングセンス・言葉のチョイスもずれている、と思う。「オーちゃん」「サッチャン」「タロー君」「K兄さん」「もの凄い横目」等々。ピンとこない人もいるだろうし、こちらとしてもうまく説明できないのですが……なんというか、誤解を恐れずに言えば「「雑さ」から立ち上るリアリティ」のようなものを感じるのです。……これと同じ印象を、漫画『闇金ウシジマくん』の「まいたん」「甘いパン」「センターT君(=中田)」といったネーミングや、KOHHのリリック(「ダサすぎ」といった「〜すぎ」の多用、あるいは「イケてる」といったざっくりとした肯定的表現など)から受け取るのは、おかしいでしょうか……。あえて作り込まないのか、天才故なのかわかりませんが、そこにはある種のリアリティが宿っていると思うのです。
柴田元幸高橋源一郎の本で、大江健三郎中上健次に言及があったことを思い出す。多くの人は大江を理性・中上を野生(天才?)の人だととらえるけど、実は逆であり、中上をそれに気づいていた、とたしかこんなことが書いていた。大江の天才性といった時にネーミングセンスのことを指すのかはわからないが、自分にとってはネーミングセンスも大江を気に入っている大きな要素である。

 

この小説はディケンズの『骨董屋』を原文で読むオーちゃんがどたばたに巻き込まれる、というストーリーで、一つの要素に学生運動がある。学生運動についてはわかっているようでよくわかっていないけど興味があるので、また調べたい。ディケンスは好きだけど『骨董屋』を読んだことはない。『骨董屋』を選ぶあたりが大江らしい、と思う。

小説を読む数は減ったけど、やっぱり面白いな。