kiligihiii’s diary

ぼくは十分に速くあったろうか

プラザ合意と島耕作

『1985年の無条件降伏』を読んだ。

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

 

今日まで続く日本の経済不況、「失われた20年」の起点をプラザ合意とし、その経緯を丁寧に描いていいる。昭和の終わりから今日までの経済史を復習できるいい本だと思います。いい意味で新書らしい本。なんの気無しに手に取ってみたのだが嬉しい誤算であった。

wikipediaで調べるとプラザ合意とは以下の通りとなっている。

プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。

プラザ合意は「ドルが過大評価されているからそれを是正したい。だから協調行動をとっていきたい」、というざっくりとした内容だったそうだ。当時は1ドル240円とかのめちゃ円安で、日本は輸出最高!というイケイケの時代だった。それを調整して貿易摩擦を減らしたかった(とくにアメリカ)。ただ、この合意では目標数値は決まっていないし、どれほどの効果があるかわかっていなかったのだけど、日本は頑張って円高政策をとった。86年1月には199円にまで下がったし(上がったというべきか?)、歯止めが効かずに民主党政権時代には80円台を切った(民主党政権円高対策を取らなかった。自分は民主党の政治的な面しか見ていなかったけど、経済対策も批判があった意味がようやくわかった)。アベノミクスの第1の矢である金融緩和でようやく、なんとかかんとか円安に転じた(まだアレだけど)。

なんで数値目標が決まっていないプラザ合意に対して日本が頑張ったかというと、日本は「国際協調」の意味を履き違えていたからだ。日本は相手を慮って、配慮して行動してあげることを良しとした。欧米の仲間入りができて嬉しかったこともあった。しかし、それは国際政治の場合では間違っている。国際協調とは「「自国の利益」を、お互い、うまく融通しあって、折り合いをつけ、勝ち取るとことは勝ち取り、譲るべきところは譲って、うまく一致点を見つける」ことなのだ。事実、プラザ合意で起こった円高の是正を提案するために行ったルーブル合意は実効性もなく、効果はなかった。
当たり前のことを日本はわかっていなかったのだ。
なんだかとても悲しいですね。友達ができて嬉しくて親切にしていたら、相手は僕のことを友達だと思っていなかった......。

 

この本と並行して『課長島耕作』を読んでいた。そこでは組織のドロドロした男の嫉妬の世界が描かれていた。時代背景もバブルと重なるのかな?なんだか妙にセンチメンタルな気持ちになった。彼らもいずれ不況を経験するのだ(途中までしか読んでない)。

島耕作的世界では、男は出世することを最上の価値とし、派閥に分かれて敵も味方も道具にして出世街道を突き進む。仕事の価値観も女性の扱いも、今の時代から見ると(自分の職場も含めて、いや、自分が呑気で気づいていないだけかももしれない。)古い価値観だし、「昭和」を知るためのちょっとした資料みたいだ。

もうすぐ平成が終わる。それでも、まだ、昭和から平成へ切り替わる時期に起きた出来事が僕らに暗い影を落としている。歴史は地続きだし、元号が変わればどうなるということではないのはわかっているけど、これまでを振り返り、そして前を見るにはいい機会である。

 

今後の生活に生かしていきたいと思います。