kiligihiii’s diary

ぼくは十分に速くあったろうか

鯨とか捕鯨とか、文化について

捕鯨に関する本を読んだ。

クジラコンプレックス:捕鯨裁判の勝者はだれか

クジラコンプレックス:捕鯨裁判の勝者はだれか

 

 この本を読むまで捕鯨に関する知識はほぼなかったといっていい。得た知識をまとめると、

  1. 捕鯨には調査捕鯨商業捕鯨がある。
  2. 日本は調査捕鯨で得た鯨を販売している(調査が終わって潰した肉、という建前?)
  3. 公海で調査捕鯨をしているのは日本だけである。捕獲数は世界一である。
  4. 日本の調査捕鯨は科学的でないと国際社会から批判がでている。調査捕鯨をあらためるのであれば沿岸捕鯨商業捕鯨の一つで日本が伝統的に行っていた捕鯨)を認めてもらえる余地があるのに、日本はそれを受け入れていない。ちなみに現在の調査捕鯨の方法は日本の伝統的な捕鯨方法(網取り式捕鯨)ではない。また、日本で伝統的に捕鯨をしていた地域はわずかである。全国的によく食べていたのも戦後の一時期。
  5. 上記の経緯があってオーストラリアが国際裁判所に訴えた。
  6. 2014年に国際裁判所から上記の調査捕鯨に違法判決が出た。
  7. 日本は新たな調査捕鯨プロジェクトを行っている。

著者は日本の捕鯨のあり方に反対的な書き方をしている。他の捕鯨に関する本(賛成的な論調)を読んでいないので、このブログの感想はフェアじゃないかもしれないけど、事実を積み上げていくと反対になるしかないと思う。

どうやら日本の鯨文化として歴史的に脈々と続くものはごく一部なようだ。しかもそれらは調査捕鯨の方法(ノルウェー式)でない。上記リスト4にあるとおり、調査捕鯨をあらためることで伝統的な沿岸捕鯨ができるようになれば、本来の日本の鯨文化を守る可能性があるわけだ。大きなくくりで「捕鯨は日本の文化だ」といってしまうと、論点が曖昧になってしまう(というか意図的に曖昧にしている?)。

「調査捕鯨は日本の文化を守るためではない」
「沿岸捕鯨の敵は、IWC国際捕鯨委員会)ではなく国(日本政府)だと思えてならない」
p7

文化という主張は強くて、批判するのが難しい。この本で興味深かった一つに「「文化」の政治学」という章がある。「文化化」されてしまうとそれが高尚なイメージを持ってしまい、文化になった経緯を飛び越えてしまう。そして本当にそれが文化なのか、という問いを封じてしまう危険性があるというのだ。これはたしかになるほどと思える。とくに現代は多様性の時代なので、文化を批判すると抑圧する帝国主義者みたいなレッテルを貼られてしまいそうである。批判ができない社会はよくないです。
最近はニホンウナギの問題もあるし、鯨も保護しようという意見はわりと受け入れやすくなるかもしれない。ちなみに鯨を保護する理由だけど、鯨は一個体が子供を産む数が少ないので(人間と同じ)、たくさん獲ってしまうと適正な数にが戻るのが大変だからだそうだ。当たり前と言えば当たり前の話ですね。たまに「鯨やイルカは頭がいいから殺すのはかわいそう」という意見が聞こえてきて、それってどうなの?という気がしてたけど、上記の理由なら納得できる。

もう一つ気になった話として、国際法とか法の解釈についてをあげておこう。国際裁判所での審議はIWC国際捕鯨委員会)の条約とか国際法の解釈が焦点の一つになるんだけど、法律・条約を色々と解釈できてしまうのはどうなんでしょうね。まぁ一国内でも法の解釈で揉めるわけだから、国際法にいたってはもっと難しいのだろうけど......。

最後に、これは捕鯨の話とは関係ないけど面白かったところ。国際裁判所での審議の場で、イギリスの弁護士はモーツァルト風のかつらをかぶっていたそうだ。イギリスの法廷では伝統的ということだそう。写真も載っていて、本当にモーツァルトみたいである。なんというか、人間は物語を大事にしている生き物なんだなぁと思ってしまった。

ということで捕鯨の諸問題を理解できてよかったです。ここには書かなかったけど今後の対策も提起されています。わりとお勧めしたい本なのでよかったら読んでみてください。