ガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』の感想

 

生きて、語り伝える

生きて、語り伝える

 

列車は町のないところに作られた駅に停車し、それからしばらくすると、道中でただひとつ、名前が入口の門のところに書かれているバナナ園の前を通った-マコンド、とあった。
p35 

そのころの私は、シェヘラザードが語る驚異が、彼女の時代には日常の中で実際に起こっていたのだと考えていて、それ以後の時代の、リアリズムばかり重視するようになった人たちの疑い深さ、勇気のなさのせいで、そうした出来事は起こらなくなってしまったのだ、と思っていたのである。それゆえに私には、絨毯に乗って町や山の上を飛ぶとか、カルタヘーナ・デ・インディアスの奴隷が罰として二百年瓶の中に閉じこめられる、といったことを現代の人間がふたたび信じるのは不可能だと思われた。そのためには、読者にそれを信じさせる力がその物語の作者になければないのだ。
p308

ガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』を読みました。読みました、と言っても、全部で600ページくらいのところを実は半分ほどしか読めていません。図書館で借りたのですが、返却期限日の前に読みきれなかったのです(貸出更新もしたのですが)。他に読みたい本もあるし、ちょっとダレてきたので、読んだところまでメモしておきます。出生から最初の短篇を発表したあたりまで読みました。

ガルシア=マルケスの自伝ということですが、どうやら本書で完結しておらず、第2部を書くつもりだったようです。それを知らなかったので、この本で『百年の孤独』の着想から完成までがドラマティックに描かれるのかなぁと期待していたのですが、そこまではいかないことを途中で知って少し残念でした。。。

私が読んだガルシア=マルケスの作品は『百年の孤独』『予告された殺人の記録』『コレラの時代の愛』の3つで、やはり『百年の孤独』が一番好きです。ベタな感想ですが、これまで読んだ小説とは違う雰囲気に圧倒されました。虚構入り乱れた登場人物・逸話にむせかえる思いをしたものです。

ただ、本書を読んでいると、『百年の孤独』は、彼による全くの創造した世界ではなかったことがわかります。当時のコロンビア(少なくとも彼のいた周り)には「『百年の孤独』的世界」があったようです。ここでは多くを列挙はしませんが、呪術師の悪魔払いによってシーツから鳥が飛び出してくるし、小さな女の子が漆喰をはがして食べます。見世物小屋ではコオロギがリズムに合わせて歌い、逆立ちをします。どこまで本当かわかったものではないですが、着想のヒントはあったのでしょう。
ジェイムズ・ジョイスが「想像力とは記憶のことである」といっていたと、村上春樹の本に書かれていたのを思い出して(正確な書き方は曖昧です)、ムムムと思った次第です。

母は蜜月を過ごしたリオアーチャの家のことを懐かしく思い出しては語って聞かせたので、私たち年長の子供たちはその家の様子を一部屋一部屋、まるで自分でそこに住んだことがあるかのように、生き生きと思い描くことができた。それは今なお、偽の記憶として私のなかに刻みつけられている。
ところが、六十歳になる直前のころ、生まれて初めて実際にラ・グアヒーラ半島を訪れた私は驚いた。電報局の建物は、私の記憶のなかの建物とはまるで似ても似つかないものだったのだ。また、子供のころから心のなかに抱いてきた牧歌的なリオアーチャのイメージ-硝石の浮かび上っている道が泥色の海まで続いている-は、祖父母から借りた幻でしかなかったのである。というか、現実のリオーチャの町を経験として知っている今となっても、私はその町を現実にそって視覚化することができず、脳裏に浮かんでくるのはむしろ、想像の中で石をひとつひとつ積み重ねて私がこしらえた町のほうなのである。
p92

 

 本書を読んで一番印象的だったのは、文学仲間に恵まれた彼の環境です。彼は中学生(?)の頃に寮に住んでいて、夜にみんなで本の朗読を聞いてから寝るという習慣があったそうです。しかも『魔の山』が好評だったとのこと。よく知りませんが、「旧制高校」的なノリでしょうか。私もみんなで『魔の山』を読みたかったなぁ。

いまだに納得がいかないほどの大成功を収めたのはトマス・マンの『魔の山』で、ハンス・カストルプとクラウディア・ショーシャがキスするのを待って全員が徹夜しそうになり、校長の介入が必要になるほどのである。また、誰もがベッドにすっくとすわったまま、ナフタとセッテムブリーニの間の支離滅裂な哲学的対決をひと言も聞き逃すまいと張りつめて聞き入ってたあの常軌を逸した緊迫感も説明不能である。その晩の朗読は一時間以上に延び、寄宿室では拍手喝采の嵐によって締めくくられた。
p277

 

他にも色々と愉快な昔話が続くのですが(色恋事情もなかなかワイルドです)、いささか長大に過ぎるのは否めず、すこし疲れてしまいました。巡り合わせがあれば、続きを読みたいものです。