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『『ユリシーズ』と我ら』の感想

 

『ユリシーズ』と我ら―日常生活の芸術

『ユリシーズ』と我ら―日常生活の芸術

 

ユリシーズ』は、普通の人々が毎日送っている生活の現実を祝福するために書かれた。
p24

  『『ユリシーズ』と我ら』を読みました。2011年に出版された本で、当時から装丁のかっこよさに惹かれていました。章のタイトルが「いかに『ユリシーズ』は我々の生活を変えなかったのか」「それでもなお、いかに『ユリシーズ』は我々の生活を変えうるか」と、なかなかにかっこよかったのも惹かれた理由です。どうもタイミングがあわずに今日まで来てしまったのですが、やっと読めた次第です。

タイミングのあわなかった本をここに来て読んだ理由ですが、最近、『ユリシーズ』の著者であるジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像』を読み返しまして、それが面白かったので次はジョイスの一番有名な作品である『ユリシーズ』を読もうと思ったわけです。ただ、他にも読んでる小説があるし、『ユリシーズ』は長いし、以前に読んだときは(一度だけ読みました)理解できない部分もあったので、今回は『ユリシーズ』をもっと楽しめるように準備をしようと思ったのでした。

ということで『『ユリシーズ』と我ら』ですが、本書は18章で構成される『ユリシーズ』を各章に沿って丁寧に解説しています。あぁこんな話があったなぁと思い出しながら読みました。付箋を貼ったりメモもとらずにスーッと、フムフムと頷きながら読んだので、「この部分の〇〇が〇〇だった」みたいな指摘はできませんが、『ユリシーズ』に詳しい人と一緒に読んでいる感じで楽しかったです。

ユリシーズ』はホメロスの『オデュッセイア』を下敷きにした作品です。なので『オデュッセイア』の知識があったほうが楽しめるのでしょうけど、私は『オデュッセイア』を読んだことがありません。本書を読みながら、『ユリシーズ』を再読するのはやっぱり『オデュッセイア』を読んでからがいいなと思いました。
あと、シェイクスピアの『ハムレット』について語る部分もあるのですが、恥ずかしながら『ハムレット』も(というかシェイクスピアの作品自体)読んだことがないので、こっちも読まなきゃなぁといった感じです。

こうしてみると『ユリシーズ』を芯の部分で楽しめてない気がしますが、私は、主人公のレオポルド・ブルーム(中年のおじさん)とスティーヴン・ディーダラス(悩める青年)が、それぞれの暮らしに思うところはあるのの、なんとかダブリンの街で生きる様がいいなぁと思っていました。*1二人はとくに親しい間柄ではないのですが、終盤に話をする場面があってブルームがスティーヴンを励まします。親しくない間柄だからこそ話し合えることもあるのかなと思います。私は年齢的にはスティーヴンに近いし、彼が主人公の『若い藝術家の肖像』が好きなので、以前に読んだ時は『ユリシーズ』でもスティーヴンに目がいきがちでしたが、今回はブルームの哀愁と優しさに目を向けることができました。

−でも実質的な飲料だよ、と彼の守護神は言い張った。ぼくは実質的な飲食物の信奉者でね。その唯一の理由は決して満腹したいからではなく、精神的であれ肉体的であれ何かの仕事をやりとげるためには、ちゃんとしたものを食べることが《必要不可欠》の条件なのです。君はもっと実のあるものを食べなさいよ。別人のようになるから。
ユリシーズ』Ⅳ p61

ユリシーズ〈4〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

ユリシーズ〈4〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

 

 これは16章「エウマイオス」にて、ブルームがスティーヴンを励ますシーンです。次の17章「イタケ」で二人は別れるのですが、「イタケ」は文体が変わっていて、第三者が二人の様子を報告しているような書き方なのです。「二人は何をしていたか。」「はい、二人は星を見ていました」みたいな(実際はもっとこねくり回した感じです)。なので、二人の会話がないのがちょっと残念です。多分、二人はいい感じの会話(言葉数の少ない会話と想像する)をして別れたと思うのですが...。 

 

ということで、というか、なんというか、まとまりがつかないですが、私にとってまだまだ謎の多い『ユリシーズ』、これからものんびりと付き合っていきたいと思います。 

*1:「スティーヴン・ブルーム」という声優がいるらしい。悟空の声とかしている。