kiligihiii’s diary

ぼくは十分に速くあったろうか

友部正人のライブ@磔磔にいった

磔磔友部正人のライブをみにいった。磔磔友部正人をみるののは3回か4回目くらいになる。久しぶりにみたいな、って時にタイミングよくやってたりすると嬉しい。

 

磔磔は京都では有名なライブハウスである。四条から富小路を下に五分ほどでつく。街中からのアクセスの良さが嬉しい。そして周囲は住宅街なので、行くたびに「おっ」とした気になる。
ライブによると思うけど、座ってビールを飲みながら聞けるのも好きだ。

 

ほぼMCなしで2時間くらい歌った。生ではじめて「中道商店街」と「ライク・ア・ローリングスートン」をきけたので大満足だった。初めてきいたバレンタインの歌や、青森の喫茶店「クランボン」の歌もよかった。「日本に地震があったのに」も歌っていた。
友部正人は今年で69歳だそうだ。歳をとったことに対する歌も多かったな。

 

ライブにいくとギターを弾きたくなる。ちょろっと弾いてはまた飽きるの繰り返しだけど、まぁそれでいいだろう。

 

また機会があればいきたいと思う。元気でいてほしい。

ジムキャリーは良いし、俳優の情報は少ない方が良いという話。

ジムキャリー主演の「イエスマン」をみた。人付き合いの悪いどちらかというと悲観的な男が、なにをいわれても「イエス」と答えるようになることで人生を開いてく、という筋書きだ。もちろんその男をジムキャリーが演じている。10年も前の映画だけど、封切りの時からそのどストレートなタイトルは目に付いていた。でも、ジムキャリーが演じているとは知らなかった。

 

私にとってジムキャリーといえば「マスク」である。かぶると超人的な力が宿る不思議な仮面をめぐる話で、CGを駆使したおバカなアクションは小学生の私の心を撃ち抜いた。キャメロン・ディアスは可愛く、愛犬マイロは賢かった。

 

イエスマン」でもジムキャリーの顔芸は冴え渡っており、「マスク」の思い出も相まった最高に楽しむことができた。「イエス教」やジムキャリーの上司の顔芸も面白い。人生訓を引き出すこともできる映画だが、とことん笑って楽しむのがおすすめである。

 

ところで、私はどちらかというと邦画より洋画をよくみる傾向にあるが、その理由の一つに、洋画の方が俳優・女優自身の情報が少ないので、純粋に作品に浸ることができる、ということがあげられるだろう(まぁこれは後付けで、単純に洋画の方が好みなのだろうけど、あえて理由を考えるのは面白いものだ)。邦画だと、あの俳優は誰と結婚しただとかcmに出てるだとか、あいつクソでどうとか、余計な情報が入ってくる感じがする。

安西水丸について・いつか帰るところ

最近、安西水丸関連の作品を見たり読んだりしている。

私が安西水丸を知ったのは、村上春樹のエッセイの挿絵である。村上春樹の生活に新聞が入り込む余地がないこととか、正月の過ごし方とか、豆腐を食べるシュチュエーションとか、そんな話の挿絵が懐かしい。これは余談だが、村上春樹についてはエッセイが一番面白いと思っている。

安西水丸の絵は誰でも描けそうな印象を与えるが、なんだか味のある絵という印象である。いわゆる「ヘタウマ」というやつか。そう括ってしまうと好みの界隈ではないが、それとは関係なく、安西水丸の絵は好きだ。色鉛筆、シルクスクリーン、青いペンで描いた画風が思い出されるが、私はシルクスクリーンの絵が一番好きだ。レモンとかカレーとかフィギュアとか、目の前にあるものを描いていることが多く、肩肘の張らない、主張の強くないところがいいと思う。彼に「私より絵の上手い人はいるけど、私ほど絵を描くのが好きな人はいない」という趣旨の言葉がある。これは素敵な言葉だ。

彼が亡くなってから、京都駅であった展覧会に行った。ポストカードでも買っておけばよかったと思っている。

今回は「a day in the life」というエッセイを読んだ。亡くなってから出版されたものだ。この本では、彼が幼少期を過ごした千倉の思い出と、これまで住んだ家に関する話が題材となっている。生まれた東京、育った千倉、自分で買った井の頭の戸建てや神宮のマンション、ニューヨークで借りたアパート、鎌倉の別荘など、それぞれの家にそれぞれの思い出があるが、多くは取り壊されていてる。郷愁。私もわりと引越しの多い人生なのでつい自分に引き寄せて共感してしまう。住んだ場所は記憶の中に個々として存在する。同時に、それらは統合されて「いつか帰るところ」として、ある種のユートピアとして浮かんでいる。

a day in the life

a day in the life

 

 

ちなみにこんなことを言ってしまうのはなんだが、私は安西水丸が、生家である「赤坂」を強調するように感じられ、そこがあまり好きではない。「郊外的」なあり方については、わりと情け容赦ない感じを受ける。

安西水丸には兄と姉がいる。彼は幼少期に体が弱く、母と二人で千倉で暮らしたという。父は彼が幼い頃に亡くなった。兄たちは誰と暮らしていたのだろう?これは推測だが、彼が母と二人で暮らす一方で、兄たちは寂しかったのではないだろうか。文章や絵から感じられる彼の人の良さは、愛情をたっぷり注いでもらった人のそれを思わせる。

安西水丸のエッセイはいくつか読んだが、人に勧めるならこの「a  day in the life」を推したい。文庫化されていないので価格が気になるが、そういう人には文庫化されて安価な、「食堂」をテーマにした食べ歩き記をお勧めする。引越しの際に処分してしまって今は手元にないが、これもなかなかよかった。

大衆食堂へ行こう (朝日文庫)

大衆食堂へ行こう (朝日文庫)

 

「ローマの休日」について

文学好きの集まりで「実は読んでいない名作を告白する」という遊びがあるらしい。名作であればあるほど良しとされるようで、私にとって、映画におけるそれが「ローマの休日」である。観る機会(観たい映画がないけどなんとなく映画が見たいとき)は幾度もあったが、どうも手が出なかった。それがこの度ようやく観ることとなった。

 

一応あらすじだけど、ヨーロッパのどこかのお姫様がローマを訪れた際に街に抜け出すというもの。新聞記者の男とたまたま出会い、男はこれをスクープとしようとお姫様のローマ観光に付き合うのだ。

いうまでもなくこのお姫様がオードリー・ヘプバーンである。そしていうまでもなく、このオードリーが実にチャーミングである。バンビのような元気いっぱいで愛くるしい姿は確かに見応えがある。髪をバッサリ切るシーンも良い。ギターを振り回すシーンも素敵である。終盤、オードリーが王族としての振る舞いを見せる姿も良い(目の動き)。演技らしい演技はこの時くらいで、ほかは演技と感じさせない振る舞いが良い。
#「ティファニーで朝食を」のオードリーはそれほど可愛いと思わなかったのだけど。猫がかわいそうだった。

 

というか、結局この映画はオードリーの可愛さの一点突破型の映画なのではないか。この映画の評価を知らないが(このブログを書いた後にみよう。私は感想を書いた後に他の人の評価を見るのが好きなのだ)ぶっちゃけそういうことになると思う。ローマの街並みも白黒映画だからよくわからないし、ストーリーも直線で凝った仕掛けがあるでもない。

オードリーの輝きがなければこの映画は時代を超えて愛されなかったと思う。そしてオードリーの輝きによってこの映画は素晴らしい。突出したひとつの才能による圧倒的なパワーを思い知らさせる映画であった。

ちなみに、新聞記者の男はサリンジャー三島由紀夫に似ている気がする。つまり、サリンジャー三島由紀夫は似ているのか……?

 

もうひとつちなみに、私がローマに行った時、トレビの泉の水が工事か何かのせいに抜かれていた。あれはあっけにとられたなぁ。あと泊まったホテルで夜、誰かにドアをドンドンと叩かれてその時はとても怖かった(ひとりで泊まっていたし)。
そんなローマの思い出。

面白かった本2018

昨年に引き続き、面白かった本です。っていか今気づいたけど、昨年のエントリーのタイトルが「面白かった本2018」になってますね笑。

今回も「面白かった本2018」です。読んだ冊数は39冊。きしくも昨年度同じ!

 

といいつつ、面白かった本を列挙する気があまりしない。というのも、今年(とくに後期)は興味がとっちらかって、一つの本を集中して読めなかったように思うからだ。ただ、これまで漠然とあった思想・哲学系への関心が高まっていることはたしかで、読みたい本が固まってきたし、来年は腰を据えて取り組みたいと思っている。構造主義ポスト構造主義あたりになるだろう。なんだか大学生になったばかりのようでワクワクしている。

 

対して小説はほとんど読めなかった。残念ながら『苦海浄土』を挫折してしまった。思想系の本を読んでいるときに並行して長篇小説を読むのは、私の能力的に難しいと思う。残念だが、興味の優先順位として小説は負けてしまったのだ。

その代わりではないけれど、来年は短篇小説を読もうと思う。それに対する一つの取り組みとして、雑誌MONKEYの購読したい。しかも次号は哲学に関するもののようだ。これもひとつの縁だろう。

 

ということで、ここの説明は省いてしまったけど簡単に今年の振り返りと来年の抱負でした。良い年になりますように!

「雑さ」から立ち上るリアリティ:大江健三郎のネーミングセンスに宿る天才性

(略)この種のカエデは紅葉しない、すでに春,赤紫なの花のだから、と姉が最近自覚したよりももっとガンコに嘆いていました。そのうち、福祉作業所に行っている兄が、

いま見ても大変きれいな葉ではないでしょうか?といったので、ついみんな笑いだし、母も納得する、ということがあったのでした。

p162

  

大江健三郎『キルプの軍団』を読んだ。『ユリシーズ』を読んでいたのだが、疲れてしまったので気分転換に。近ごろ岩波文庫化されたけど、発表されたのは1988年と新しいものではない。このあたりの事情は知らない。

キルプの軍団 (岩波文庫)

キルプの軍団 (岩波文庫)

 

 

ところで、そもそも私は大江健三郎が好きである。といっても読んだのは『万延元年のフットボール』までだから、熱心なファンとはいえないけど、21世紀以降に興味を持った最近のファンとしては、そこそこ読んでいる方ではないか。『万延元年』以降も読みたいと思っていたものの、まとめて読んでいたのでちょっと一息ついてしまい、数年が経っていたのであった。その間に小説を読むことも、減ったのであった。

ということで、上記までの大江健三郎の作品に限って、ということになるが、大江健三郎の魅力はなんだろうか。その一つとして文体をあげたい。どうもギクシャクしたというか「くねった」ような、するすると読めるタイプのものではない。でもそこが好きである。『キルプの軍団』の主人公は高校生のオーちゃんだけど、高校生とは思えない言葉遣いだ。この辺りの大江のズレた感覚が好き。

ー……二、三日前、ママがちょっといっていたことだけれども、進学するのを止めようか、という気持ちもあるんだって?

ー突然,そう訊かれても……まだ、時によっていろんなふうに考えているから、と僕は防禦をかためる式にいいました。

ーそうだろうね。むしろおれの側の、いまの関心、ということで尋ねたんだよ。なぜおれの側の関心というかといえばだね、大学に進むことの実際的な意味ということを、自分の経験にそくして考えてみたからさ。そこでいくらか整理した答を、示したいと思って。オーちゃん、きみがベッドにはすかいになった、金縛りのポーズでね、いろいろ考える際の、参考資料にさ。

ーああ、そう!と僕はベッドに起きあがり、はだしの足を床におろして、ガラス戸の向うの、ちょうど眼の高さにある庭木の先端を眺める態勢とりながら、いったのでした。それはご親切に……

pp154-155 (太字は実際は傍点です。以下同様)

 

忠叔父さんの返事は葉書でしたが、新しい情報を聞いての素直な喜びが示されているように感じ、そこから逆算すると、僕のせいぜいニュートラルな文体で書いた手紙にも、overjoyとはいかないまでも、ある楽しい活気が出ていたのかもしれないと、安心するようにして思ったのです。

p200

 

あと、大江健三郎はネーミングセンス・言葉のチョイスもずれている、と思う。「オーちゃん」「サッチャン」「タロー君」「K兄さん」「もの凄い横目」等々。ピンとこない人もいるだろうし、こちらとしてもうまく説明できないのですが……なんというか、誤解を恐れずに言えば「「雑さ」から立ち上るリアリティ」のようなものを感じるのです。……これと同じ印象を、漫画『闇金ウシジマくん』の「まいたん」「甘いパン」「センターT君(=中田)」といったネーミングや、KOHHのリリック(「ダサすぎ」といった「〜すぎ」の多用、あるいは「イケてる」といったざっくりとした肯定的表現など)から受け取るのは、おかしいでしょうか……。あえて作り込まないのか、天才故なのかわかりませんが、そこにはある種のリアリティが宿っていると思うのです。
柴田元幸高橋源一郎の本で、大江健三郎中上健次に言及があったことを思い出す。多くの人は大江を理性・中上を野生(天才?)の人だととらえるけど、実は逆であり、中上をそれに気づいていた、とたしかこんなことが書いていた。大江の天才性といった時にネーミングセンスのことを指すのかはわからないが、自分にとってはネーミングセンスも大江を気に入っている大きな要素である。

 

この小説はディケンズの『骨董屋』を原文で読むオーちゃんがどたばたに巻き込まれる、というストーリーで、一つの要素に学生運動がある。学生運動についてはわかっているようでよくわかっていないけど興味があるので、また調べたい。ディケンスは好きだけど『骨董屋』を読んだことはない。『骨董屋』を選ぶあたりが大江らしい、と思う。

小説を読む数は減ったけど、やっぱり面白いな。

音楽に・関する・最近の・雑感 〜Spotifyを中心に〜

最近、Apple MusicからSpotifyに切り替えた。Apple Musicの時は好きなアルバムを聴いているだけだったけど、Spotifyにしてからはプレイリストも楽しんでいる。自動で作られるやつも他の人が作ったやつも。Apple Musicもプレイリスト機能ってあったと思うけど、なぜか使っていなかった。Spotifyのほうがプレイリスト機能を推しているデザイン設計になっているから、ついつい使ってしまう。ゲーム音楽がもっと充実してほしい。

そもそもプレイリストとは何かというと、「お気に入り曲集」と考えてください。あるテーマに沿って集めたものもあります。自分の好きな音楽分野を深めることもできるし、今まで聴かないジャンルにも手を出しやすくなる。ミュージシャン自身がプレイリストを作っていたりもする。アジカンのゴッチとか。
最近だとオザケンのLIFE元ネタ集が面白かった。

open.spotify.com

ひと月千円しないし、今だと3ヶ月で百円という破格サービス。使わない手はないと思います。本当に便利な時代になった。
今月はAphex Twinのアルバムが出るようです。Spotifyに入るといいなー。


Aphex Twin - T69 Collapse

 

 

これと同時期に2冊の本を読んだ。どちらもたまたま、別の時期に買ったもの。 

衣・食・住・音  音楽仕事を続けて生きるには

衣・食・住・音 音楽仕事を続けて生きるには

 
誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち (ハヤカワ文庫 NF)

誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち (ハヤカワ文庫 NF)

 

 

 『衣・食・住・音』はカクバリズムという音楽レーベルを運営する角張社長が、レーベルの立ち上げから現在までの足跡を語っている。今年(2017?)で15周年とのこと。カクバリズムの音楽ってあまり聞いたことないけど、所属アーティストは見ると、なかなかいい感じのレーベルなんだっていうのがわかる。社長が過去にバンドをしてたりライブハウスでバイトしていたこともあって、音楽が本当に好きなんだなってのが伝わってくる。「音楽で食ってく」ために清濁併せ呑まなきゃいけない場面があっても、それでも譲らない価値観を持っている。シンプルだけど難しいというやつです。こういう人を見ると、自分も頑張らなきゃなーと思います。「好き」って強い。

ちなみに、カクバリズムのアーティストはSpotifyにあまり入っていない印象がある。sakerockとか二階堂ふみが聞きたかったのだけど(二階堂は少し入ってる)。ユアソンやceroは入っているから、レーベル以外の事情なのかもしれない。この本を読んで音楽を作る大変さを知ると、Spotifyで(ほぼ)タダで音楽を聴けてしまうことに後ろめたさを感じてしまう。製作者からすれば「これだけ頑張って作った作品が......」ってなるよな。。。でも、買うかと言われると難しい。実際、今年は1枚しか買っていない。レンタルショップにも行ってない。

高校〜大学生の時が嘘のようだ。 

 

『誰が音楽をタダにした?』は最近文庫化された。mp3を作った人、その影響を受けた音楽業界、mp3で海賊版を作った人、の3側面から、ネット時代の音楽業界の話を描いている。技術革命は使う人がいて初めて革命になるんだなぁと思った次第。なんでも使いようだ。
ラップとmp3の台頭が同時期で、2パックとかドクタードレとかリルウェインとかが出てくる。ちゃんと聞いたことないけどラップには興味があって名前は知ってたから、そういう人たちが物語に登場してくるのが面白かったな。

 

数ヶ月前にブルートゥースのイヤホンに変えた。これも実に便利なデバイスだ。自分の音楽環境は確実に豊かになっているけど、フリーライダーになっているようで気がかりでもある。便利すぎるんだよあと変な後ろめたさがある。投資しないと文化は枯渇してしまう。枯渇するようではその程度の文化であった、では済まないと思うんだけど、自分に何ができるのか。色々聞いて好きな音楽を増やして、ライブに行くことかなぁ。 

 

今後の生活にいかしていきたいと思う。